金貸しの歴史

日本の金貸しの歴史をご紹介しましょう。 平安時代末期には専門の金融業者が現れたといわれています。彼らは借上と呼ばれる銭を貸して高利の利息とる僧侶だったのです。

次に、鎌倉時代になると質屋が借上に代わって金融業者の主流となり、彼らを土倉といっていました。

その後、鎌倉時代末期からは銭貨が中国大陸から大量に入ることがきっかけで、土倉は室町時代に入ると不特定多数の人々から利子付きでお金を集めて原資として貸付を行う合銭や替銭といった現代の為替に従事する業者もいました。

このようにして、土倉は現在の銀行のような貸付や為替業務の役割をもっていたと考えられています。 このように日本の金貸しの起源はなんと平安時代末期の僧侶だったというのは驚きですよね。

もともと日本では奈良時代に出挙が制度化されており、これが金貸しの起源とも言われているそうです。出挙というのは初穂の稲を春に種籾として貸し出すために貯蔵して秋の収穫時に神へのお礼として五把の稲を利息の名目でもらっていたそうです。

金貸しと貯金は、密接な関係があります。 銀行貯金などは、金貸しと同じようなものです。 日本は銀行にお金を預けているだけで生活ができるという人もいました。

それは特別なお金持ちだけでなく、それなりにお金を持っている人でもでした。100万円や1000万円というレベルでは無理ですが、いずれにしても、比べ物にならないくらい豊かでした。

そう言った時代は、国民全体が金貸しだったと言えなくもないです。国民の殆どが銀行や国にお金を預けているわけですから。 もっとも、貸しているという感覚は殆どの人が持っていないでしょう。


金貸しの発祥

金貸し業の発祥って日本ではいつからなのでしょうか? 金貸しの根本を考えて、金貸し業の発祥を想像してみたいと思います。金貸し業って、金を貸してくれる業者なのですから お金がないと勤まりませんよね。

そんなところから お金が存在した時に金貸し業は発祥したのでしょうか。お金が出来た時代に金貸し業ができたと考えるのは自然だと思うのです。いつから日本にお金ができたのかについては日本最古の通貨として有名なのが 「和同開珎」ですが、「富本銭」が有力のようです。

富本銭が流通してスグに金貸し業は生まれたのでしょうか。日本書紀の天武12年(683年)の後におそらく富本銭が流通したようで、それまでは中国から伝来した「開元通宝」が 流通していたと思われるのです。

開元通宝が日本で流通した後に 金貸し業ができていると考えた方が自然かもしれません。